看取りと言えば、普通はお年寄りの看取りとなりますが、私の場合は小学生の子供二人を抱えた41歳の妻の看取りでした。
がんの中でも一番症例の少ない副甲状腺がんを煩い、大学病院の医師も手探りの療法を繰り返して、何年も入退院を繰り返し何回も手術をしたのちに、あとは命が絶えるのをただただ待つだけの状態になった時に、私の高校時代の同級生で亡命チベット人医師が、最後は俺のところに連れて来いよと声をかけてくれて、彼に任せました。
彼は、俺はお前の奥さんの病気は治せないけれど、最後にもう一回笑顔を作ることはできるからと言い、懸命の治療をしてくれました。
大学病院にいる時は、死人の顔をしていたのが、頬に赤みがさし、穏やかな顔になり本当に笑顔が戻ったのです。
亡くなる前日には、義父が今日はお前たちの結婚記念日だからといってケーキを買ってきてくれました、するともうほとんど食べられなくなっていたのに、ベットに腰掛けてニコニコしながらケーキを食べていたのです。
そして次の朝、子供たちや親兄弟に見守られながら静かに息を引き取りました。
約5年にわたる最後は声帯まで取り声を失うほどの凄まじい闘病生活でしたが、妻の子供たちのために一日でも長く生きていなければという思いに突き動かされた日々でしたので、私としては寂しさよりは、やっと終わったという気持ちでした。