監督の言葉
私の父は2019年に胆管がんを患い、以後入退院を繰り返していましたが、最期は病院での治療も難しくなり看取りをすすめられました。看取りについては自宅、あるいは緩和ケア病棟への入院と二つの選択肢がありましたが、父の強い希望もあり、実家で母が行うことにしました。これに際してはケアマネージャーに相談し、訪問看護とヘルパーの力を借りて、母一人でも介護が可能な体制を整えてもらいました。
それでも何かあると母だけでは対処出来なかったり、心細いということもあり、長男である私が頻繁に東京から実家へ帰るということを繰り返しました。それは決して楽しい帰郷ではなく、介護を巡って母と対立することもしばしばで、だんだんと億劫な気持ちに陥ります。どうしたら父の介護や母のサポートにもっと積極的に取り組めるだろう…。そう考えた時に、この過程を撮影してみようと思い立ちました。
病床の父を撮ることに全く抵抗が無かったわけではありません。しかしカメラを向けても父は拒絶しなかったし、私自身も(カメラを通して現実を観るからでしょうか)何が起こっても受け止められる余裕が生まれ、積極的に看取りに臨もうという気持ちになりました。ただ父とはいえ、一人の人間の命が消えていく様子を撮らせてもらうのだから、中途半端な気持ちで記録してはいけない。生命を尊重しながらも出来るだけ私情を抑えて冷静に取り組もうと決めました。
現代では多くの人が病院や施設で亡くなり、身内であっても人の死を間近で見ることはめったにありません。誰にでも普通に訪れる死というものから、私たちの生活はずいぶんとかけ離れています。一方、コロナ以降は病院や施設での面会が難しくなったこともあり、自宅で肉親を看取ることが増加傾向にあるといいます。さらには近い将来、40万人以上のひとが看取り先の確保が難しくなるという厚生労働省の推計もあります。そこでこの機会に看取りの過程を出来るだけ綿密に撮影してみよう、カメラを通して人の死とじっくり向き合ってみようと思いました。このようなことは身内でしか出来ないし、父も母も許容してくれたので遠慮なく詳細に撮影していきました。
その結果、様々なことが見えてきました。まず看護師さんやヘルパーさんの話から、介護を必要とする人たちがこんなにも多いことを知りました。もちろん情報では知っているつもりでしたが、身近な問題として実感したのは初めてでした。また高齢者地域では、ご近所づきあいがとても大切だということも知りました。留守番や買い物など、ご近所の方々にはずいぶんと助けていただきました。父の看取りをしている小さな茶の間から、高齢化社会や老々介護など今の日本が抱える様々な現実が見えてきたのです。
そして父が衰弱していくのに対して、逆に母が生を実感していく過程も見えてきました。家に出入りする様々な人たちとの出会いの中で、母はイキイキと活力を得ていったのです。父の死を撮ることは、母の生をも撮ることなのだと解りました。私の人生の中でこれほど両親を見つめたことはなく、初めて両親を一人の人間として、さらに言えば一個の生命として見つめることが出来たと思います。
私が生を受けたのは両親のおかげであり、その生も意外に儚くあっけない。そのことを父が死をもって教えてくれました。人間は生まれて死ぬ、その間の営みが生きるということである。そんな当たり前のことを父と母の映画を作りながら改めて知ることが出来ました。
村上浩康
映画監督。1966年宮城県仙台市生まれ。
2012年「流 ながれ」にて文部科学大臣賞。
2019年多摩川河口干潟を舞台にした連作「東京干潟」「蟹の惑星」で新藤兼人賞金賞、文化庁優秀記録映画賞、門真国際映画祭最優秀ドキュメンタリ―作品賞、座・高円寺ドキュメンタリ―映画祭大賞、キネマ旬報文化映画ベスト10入賞など。
その他の作品
小さな学校(2012年)
無名碑 MONUMENT(2016年)
藤野村歌舞伎(2019年)
たまねこ、たまびと(2023年)